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漸くの完結です。
今更3ネタ(4ネタも有)、ちょっと鬱村ですのでご注意ください。
中篇で書いた大谷さんネタを上手く組み込めなかったのが無念です・・・
その内番外編的なので補完出来たら・・・いいなぁ。
・戦国
・佐幸
・3ネタ(でも4も有)
・鬱雰囲気
・捏造十勇士(少し)有
【夢に惑いし(後篇)】
翌日甲斐へ戻る予定であった幸村は何だかんだと大谷に引き留められる形でもう一泊する事となり、結局大阪には二泊滞在しての漸くの甲斐への帰還となった。
今後の方針を含めて今暫くとも言われたが、いくら情勢が落ち着き国許も万全を期しているとは言えやはり総大将が長く空けるのは好ましくない。
決戦の日までもまだ猶予があると言う事で、幸村は滞在の礼を告げた上で大阪を発ったのだった。
躑躅ヶ崎に一度寄りそれから上田に戻ると佐助が大門前で出迎えてくれた。
「お帰り、大将」
声をかけられてドキリとする。
大阪では同盟を組むまでは見届けてくれていた様であるがその後は晩に姿を現し先に上田に戻る旨だけ伝え佐助は一足先に大阪を離れていた。
その時も交わした言葉は二、三言。
報告と例の大谷からの札を取り上げた事だけだ。
こうしてしかと向かい合うのはいつ振りか。
もしかしたら上田の城を取られた時以来ではないか。
そう思えば緊張も増し、気まずさに幸村は視線を下に逸らした。
「同盟の方は上手くいったみたいだし、大谷刑部参議にも気に入られたみたいで上出来なんじゃないの?」
「あぁ、お前達のおかげだ。よくやってくれた」
「真田忍として当然の事でしょ」
交わしながら佐助の言葉に険が紛れていないかと必死に探す。
大阪での振る舞い、おかしな所はなかっただろうか。
あれからは佐助の忠告通り細心の注意を払ってきたつもりではあるのだが。
自分は余り気の回せる性質ではないと知っているのでどうしても不安は残った。
そんな事を考えている事自体大将としての器を問われかねないが、解っていても怯えるのを止められない。
この場所で邪魔だと言われたあの衝撃を幸村は未だ忘れる事が出来ずにいる。
そんな心情を悟ったのか、視線の合わない幸村に佐助が深い溜め息を吐く。
それにまた幸村が怯える悪循環。
あぁ、また落胆をさせてしまった。
思うと体が震えそうになる。
それを拳を握り力を入れる事で幸村は何とか堪えて口を開いた。
「こ、此方は変わりなかった、か」
声は上ずってしまったが、何とか体裁を整えて取り敢えず形式的な事を尋ねる。
すると佐助も其処は気に止めずにいてくれたのか、直ぐに何事もなかったかの様に答えてくれた。
「今の所は何処も目立った動きはないよ。東と西の陣営が徐々に明確になっきているぐらいで」
しかしまだぶつかり合った国は無いし動き始めた国もないらしい。
「まあ、その辺の詳細は後で報告するけど」
報告の態度はいつも通りだ。
それに少し安堵して、幸村は分かったと言葉を返し足を城内へと向ける。
「なれば、都合のいい時に頼む。俺は部屋で政務を・・・」
忍の都合が優先されると言うのもおかしな話だが、実際自分などより佐助の方が余程忙しいのだから仕方がない。
自分は先に不在中の政務もあるので執務室へ向かおうとしていたのだが、すると途中で佐助に引き止められる。
「政務はいいから、それよりあんたは少し休みな」
「え?」
どう言う事であろうか。
振り返って尋ねると、佐助は厳しい声で一言告げた。
「あんた、自覚ないみたいだけど、酷い顔してるんだよ」
同盟は上手くいったし、場所が変わればどうかと思ったが大阪でもやはりあの夢を見て幸村は眠るのが恐ろしくなった。
故にあれから二日目の夜も上田に戻るまでの道中も、なるべく眠らない様にとしていたのだ。
それが顔に出ていたのか、佐助に悟られてしまったらしい。
しかし。
「いや、体調ならば問題はないぞ!」
出来れば休みたくはない。
また夢を見るのが恐ろしい。
あの夢は将に理想的で幸せだけれど、その分目覚めた時に現実との隔離が苦しくて仕方がない。
それなら好きではないが政務をしていた方が余程マシだ。
数日城を空けていたし、それなりに溜まってもいる筈だ。
そう必死に取り繕ってみたのだが、佐助は言う。
「そっちは粗方片付けて貰ってるから問題ないし」
「・・・え?」
二度目の衝撃だった。
聞けば家臣達が手分けして済ませておいてくれたらしく、後は重要なものが何点か残っているだけらしい。
それはとても有り難い事の筈なのに。
「そう・・・なの、か・・・?」
何故だろう。
皆の、少しでも己の負担を軽くしようとしてくれている心遣いは分かっているのに、心が沈んでいくのを止められない。
まるで、此処でも自分は必要ないと言われた様な。
常ならば決して思わない。
けれど今の自信の無さが幸村を酷く卑屈にしていた。
「なれば、鍛練か書物でも・・・」
ぼんやりとしたまま、ならば未熟な己を少しでも変えようと幸村はそう言うが、それすらも佐助に止められる。
幸村が中々頷かない所為か少し苛立った様に。
「いい加減にしろよ、大将」
低い声に思わずひゅっと息を飲む。
失敗した。
また怒らせてしまった。
「体調管理も仕事の内だろ。大将がそんなんじゃ兵の士気に関わる」
唇が戦慄く。
吸った息が上手く吐けない。
どうしてか、呼吸の仕方すら分からなくなりそうだった。
解ったら休みなと再度促す佐助にそれ以上の反論を紡ぐ事は出来ず、どうにかこうにか頷きだけ返して幸村はふらふらと歩き出す。
覚束ない足取りで、それでも政務室ではなく閨へ向かったのは無意識だったが、そこに辿り着いても何をしていいのかが幸村には分からない。
述べられた床の上で、しかし横になる事はせずに幸村は一人蹲る。
閉めた障子の向こうからは城の者達の話し声が聞こえるがそれも何処か遠い。
薄暗い部屋で一人ぽつんと。
まるでこの世で独りぼっちになった様だった。
このまま言われた通りに眠りにつけば恐らく孤独からは解放される。
夢の中にはまたあの皆が傍にいてくれる、優しい世界が待っていると知っている。
しかしどうしてもその後目覚めた時が恐ろしくて踏み留まる。
眠るまいと、膝を抱えた腕の皮膚に強く深く爪を立てる。
そうするのはここ数日の幸村の癖になっていた。
夜毎に増える爪痕は時に長く線を引き蚯蚓腫れになっている。
体を抱く様に掴む二の腕の辺りは既に赤を通り越して広く紫色になっていた。
幸い幸村は湯殿も着替えも己でするので誰にも見られた事はないが、知れたら叱られるかはたまた気を使われるか、どちらにせよ一騒ぎであろう。
特に佐助には。
こんな自傷染みた行為など、何を考えているんだと冷たい目で見られるに違いない。
思うと目頭が熱くなり、咄嗟に膝に顔を埋めて己を誤魔化す。
佐助の叱責も憤りも、全て武田の為と分かっている。
分かっているのにやるせない。
ひっ、と喉がひきつる。
息苦しいのは自分が蹲っているからだ。
幸村はひたすらにそう思い込もうとした。
***
息が苦しくて呼吸が荒くなる。
短く吐き出す息が熱い。
ぼんやりとした意識のまま幸村が薄く目を開くと其処は変わらず己の部屋で。
ここは現か、それとも夢か。
幸村は辺りを見渡し、そして夢の中だと直ぐに気付いた。
結局自分はあのまま眠ってしまったのか。
眠りたくなどなかったのに。
幸村はそう落胆した。
何故夢だと判明したかと言うのは、視線を巡らせたその先に佐助の姿を見つけたからだ。
佐助は枕元から僅かに距離を空けて座り、黙って幸村を見つめていた。
「旦那!?」
そして幸村が佐助を見付けると、同時にひたと視線が合って幸村の目覚めに気付き叫んで此方を覗き込んできた。
懐かしい呼び名。
嬉しくて心が解け何のてらいもなく名を呼び返そうとして幸村は己の声が掠れて出ない事に気が付いた。
喉に異変があるのか。
手で擦ろうとして腕も動かない事を不思議に思う。
否、動かないと言うより酷く重い。
頭もぼんやりして上手く働かないのは単に寝起きだからだろうか。
夢の中なのに寝起きと言うのも可笑しな話だが。
幸村は奇妙な矛盾に口端だけで思わず笑った。
「旦那、大丈夫?意識ある?」
するとそんな幸村の様子を訝しんだ佐助はひらひらと手の平を幸村の眼前に翳して揺らした。
それを顔を動かさずに視線だけで追っているとまた別方向から声がする。
「まだ薬が効いているから意識もはっきりとはしておらぬのでしょう」
聞き覚えのある声だった。
嗄れた老人の。
それは武田に遣えて長い、国内でも指折りの名医と名高い典医であった。
今は殆ど信玄に付きっきりの筈で、夢の世界の信玄が健勝とは言え何故ここにいるのだろう。
普段彼は与えられた私室で書を読み耽るか薬の調合をしている事が多く、診察以外では外に出てくる事は稀であるのに。
しかし実際にはそれは珍しい事ではなかった。
彼がこの部屋にいるのは当たり前の事であった。
何故なら。
「まだ暫くは安静が必要でしょうが、意識が戻ったのならもう大丈夫でしょう」
どうやら自分が寝ていたのは怪我か何かをしていたかららしく、彼は治療の為に此所にいたのだ。
怪我人の元に医師がいるのは確かに当たり前だった。
そこで典医の彼が此所にいる理由には納得がいったが、すると今度はこの状況が珍しいなと幸村は思う。
夢は大抵幸村に都合のいい様子であったから。
こんな自分が怪我をしている事なんて初めてだった。
ならばこれは本当に只の夢だろうか。
思っていると激しい足音が響いてくる。
「目が覚めたか、幸村ああぁあー!!」
館中に響き渡る低い声。
信玄の声だ。
病など程遠い力強いそれを、聞けば無意識に体が反応する。
あんなに重かった腕が自然に動いて上掛けを跳ねて立ち上がる。
「戦で深手を負うとはこの未熟者がぁぁぁ!!」
「ちょ、お館様っ!大将はまだ・・っ」
佐助の声を聞きながらも身体は既に動いていた。
将に意識は虚。
夢の中で更に夢現とは不思議なものだ。
思った瞬間、脳を揺らす程の衝撃。
「気合いが足りぬわー!!」
ぶんと空気が揺れたのはその声が故かはたまた振り切られた拳か。
それは真っ直ぐ幸村へと向かいその体を吹き飛ばす。
遠く聞こえたのは佐助や典医、それから侍女達らしき女の甲高い悲鳴。
流石にそれに耐える事までは出来なかった己の身体は障子を突き破って庭に飛び出し、土と背の摩擦をブレーキに明るい空の下で土埃を上げて止まった。
もう少し飛ばされていたら塀にぶつかり、自覚は無いが負っているらしい怪我が悪化していたかも知れないが、其処は信玄も心得ていた様で。
手加減をしたのだろう。
師の洞察力や思慮深さに感激し、幸村は流石お館様と一人感激に打ち震えていた。
佐助辺りがこの心境を知れば怪我人ぶん殴る人に思慮深さも糞もないでしょうがと怒鳴り散らしていた所であろうが、幸い口に出していないので佐助の叱責の矛先は己ではなく信玄に向いていた。
いや、それも宜しくないか。
「たった今昏睡から目覚めたばっかりの人間殴るとか何考えてんですか!」
思った事とほぼ同じ内容の言葉を信玄にぶつける佐助にそれは違うと幸村は心内で反論する。
何故なら拳を受けた事で寧ろ己の意識は先よりはっきりした様に思うからだ。
生憎それを伝える為の声は出なかったけれど。
「あれは殴ったのではないぞ、佐助。気合を入れたのだ」
「気合じゃ怪我は治りません!絶対安静だってのに・・・縫合した傷が開いたらどうすんの!」
「何を申すか!気合いがあれば怪我であろうが病であろうが・・・」
「それで済んだら医者はいらないっての!ったく・・・兎に角お館様は・・・」
声が少しずつ遠ざかる。
どうやら佐助が信玄を追い返そうとしている様だ。
何と不敬な。
そう思いながらもぽんぽんと交わされる会話を懐かしくも思う。
「まぁ、今暫くは大きな動きもあるまい。よく養生せいと幸村に伝えよ」
「殴った張本人が言う言葉じゃないでしょ、それ」
そう言って、信玄は戻っていったのだろう。
足音が遠ざかり、辺りに静寂が戻ってくる。
替わりに幸村の傍には佐助が近付く気配がして、彼は腹を撫で怪我の具合を確かめてからそっと幸村の身体を抱き上げる。
「全く・・・師弟揃ってむちゃくちゃなんだから・・・」
文句を言いながらも褥に寝かせる手付きは何処までも柔らかく優しい。
今は佐助も忍装束を脱いでおり、簡易な小袖姿だから露な腕や薄い着物越しの温もりが心地好かった。
「大将、起きてるの?」
そっと頬を擦り寄せると佐助が覗き込んで尋ねてくる。
そう言えば呼び名がいつの間にか戻ってしまった様で。
それを少し残念に思う。
しかし仕方ない。
あの旦那呼びは恐らく咄嗟に出たものだったのだろう。
普段冷静な佐助がそれだけ切羽詰まっていたと言う事か。
手間をかけさせてすまぬと掠れた吐息の様な声で何とか告げると佐助が溜め息を一つ吐く。
そしてかけたのは手間ではなく心配だと咎める様に言い差した。
「怪我してるの隠して戦に出続けるとか、勘弁してよ」
枕元で昏々と説かれる佐助の言葉を聞くに、どうやら自分は戦の最中に怪我を負い、にも関わらずそれを隠して最前線に立ち続けたのだそうだ。
そして勝利し陣幕に戻った直後に倒れたと。
我ながら何とも無茶で、しかしらしいと言えば如何にもらしい。
「軍の士気を考えたら出たいって気持ちは分からなくはないけど、あんまり無茶しないでよね」
ああ、これかと幸村は唐突に理解する。
いつも都合のいいばかりの夢で己が怪我を負っていた理由。
己の身体を気にしてくれているのはどちらも同じであるのに、どうして今はこんなにも温かさを感じるのか。
試す様に、自分に万が一があったとしてもこの世界には信玄がいるのだから武田は立ち行くであろうと問いかけてみれば、本気で気分を害したらしい佐助が幸村を睥睨して幸村を責める。
「・・・それ、本気で言ってんの?」
この世界の佐助でも怒る事はあるらしい。
しかしそれを恐ろしいとは感じない。
寧ろ嬉しさに泣きたくなる。
「目の前であんたに倒れられた時の俺様の気持ち、分かる?」
心臓が潰れるかと思った、と。
言われた此方の方が心臓が潰れる思いであった。
滲む眼を見られたくなくてそっと上掛けを引き上げる。
するとそれを叱られ落ち込んだと捉えたのか、佐助の声が不意に和らぐ。
「頼むから・・・もうちょっと自分を大事にしてよ・・・」
喉がひきつる。
呼吸が上手く出来なくてひっひっと掠れた音が溢れた。
突然子供の様に泣き出した幸村に佐助が慌てて言い募る。
怒っている訳ではないのだと。
分かっている。
佐助の叱責が只の怒りからではない事は。
しかしだからこそ涙が止まらない。
あんまりではないか。
こんな幸福な世界を知ってしまって。
今更あの現実に戻れと言うのか。
戻りたくない、と思ってしまった。
一瞬でも。
それがこれまで助け、支えてくれた佐助や武田の皆を裏切るものだと分かっていながら。
現実の佐助の叱責すら己の為と理解しながら甘い世界に浸りたがる。
何と幼く我が儘で情けない事か。
あぁ、本当に自分は大将たる器ではない。
思って幸村は慰める様に手を握る佐助の手を、縋る様にきつく握り返した。
己の嗚咽で目が覚める。
日中にも関わらず薄暗い部屋の中、やはり傍らには誰もおらず幸村は一人きりであった。
ゆっくりと眠れる様にか人払いをされているらしく、周囲に人の気配すらない。
替わりに褥の上の己の手に夢で握った佐助の手の感触が残っている気がして。
幸村はその温もりの気配を逃さぬ様にと強く拳を握った。
触れる己の掌に爪が食い込み新しくまた傷が残った。
夢に惑いし日々の終わりはある日唐突に訪れる。
幸村が大阪から戻って数日。
日の本が徐々に大戦の気配を色濃くする中、その地関ヶ原を目指さんとする徳川軍が幸村の守る上田に奇襲を仕掛けてきたのだ。
徳川が江戸を発ったのは知っていた。
忍隊も情報を掴んでおりそれは幸村まで上がって来ていた。
しかし当初従来通り東海道を進む形で関ヶ原を目指していた徳川軍は突如東山道に進路を変え、甲斐武田を通過点としてきたのだ。
態々困難な山道を選んだ理由は分からない。
信玄を師と仰ぐ徳川の総大将である家康が、その甲斐と敵対する事を嫌い事前に懐柔しようと考えたのか、それとも今の幸村率いる武田ならば大戦前に大きな被害もなく攻め落とせると踏んだのか。
分からないが攻め込まれたからには退けなければならない。
幸村は直ぐ様迎撃の指示を上田にいる兵に伝えた。
上田城は周囲に水路を張り巡らせている。
その為水門を抑えておけば相手の進軍をかなり食い止められる筈だ。
水門の近くに陣大将を配置すると、幸村も自ら前線に立たんと表門へ向かう。
しかし、直ぐに佐助に止められると最奥へと戻されてしまった。
相手はあの徳川家康だ。
同じ師を仰ぐ者として幸村に只ならぬ思い入れがある様であるし、無闇な殺生を好まない彼は被害を最小限に収めるべく真っ先に幸村を狙ってくる可能性が高い。
そう佐助は読んだらしい。
ならば余計に自分が先頭に立った方が被害は出ないのではないか、と幸村はちらりと思ったが口には出来なかった。
それは自分が家康に勝てると言う自信があって初めて口に出来る事だ。
今の自分にその自信も、実力も、そして資格さえもない事など、十分過ぎる程に自覚していた。
入った報告に寄れば徳川軍は予想通りに総大将の家康が先陣を切っているらしい。
流石に一歩兵では止めるのは難しいらしく、陣と水門が破壊される爆音、そして水の流れる音が聞こえてきた。
あちこちから煙が上がるのをただ見ているしか出来ないと言うのは何ともどかしい事か。
しかし幸いであったのは進軍を食い止める水路を逆に徳川軍も利用してきた点だ。
水門を破壊された武田の兵は水に押し流され徳川の進軍を許してはいるが、流された者まで相手も追うつもりはないらしく、確かに被害は出ているが直接切り結ぶよりは死傷者は大分少ないと言えた。
兵を無駄に死なせずに済んだ事は不幸中の幸いだと幸村は心内で安堵し、しかしそれを直ぐ様首を振って打ち消した。
自分は何処まで愚かなのであろうか。
そんな事を思うぐらいなら、最初から降伏していれば良かったのだ。
この戦、否、それよりもっとずっと前。
信玄が病に倒れ徳川から和睦の申し入れがあったあの時に。
確かにあの状況での和睦は実質的な降伏と同義であった。
しかし他の軍であればいざ知らず、あの家康ならばそれでも然程悪い様にはしなかったであろう事は予想に難くない。
にも関わらず家康の手をはね除け同盟を受け入れなかったのは単に己の意地であったのではないのか。
今となってはそう思わずにいられない。
突然現れ、なのにずっと傍にいた筈の自分よりも周囲に虎の意思を継ぐ者と認められ。
そんな彼の手は取れないと。
ちっぽけな矜持。
下らない劣等感が今のこの状況を招いたのではないか。
全て己の責任だ。
本当に国の事を思うのならば、己は――
「真田!」
陥りかけた思考の渦。
それは背後から突如掛けられた呼び声によって散らされた。
思わぬ声に思わず肩をビクリと揺らす。
門は未だ閉じたまま。
正面にばかり気を取られていたが、どうやら家康は水門を全て制圧し水の無い水路を渡り奇襲を仕掛けて来た様であった。
奇襲と言うと聞こえは悪いが、相手の裏をかき背後を突くのは立派な戦法。
またそうしながらも声をかけてくる辺り、目的はどちらかと言うと被害を減らす事の方が強いのでは無いかと思われた。
「いきなり、すまない・・・だがどうしてもお前と話がしたかった」
関ヶ原の戦いの前にと家康は言った。
目の前に立つ彼は、随分と背が伸びたなと幸村は思った。
体躯も、見える腕や胸や腹に筋肉がついて大層立派なものだ。
信玄には遠く及びはしないが、それでも腹筋は幾らかあるものの肉がつきにくいのかいつまでも薄っぺらな自分とは雲泥の差である。
おまけに己はここ数ヵ月で更に体重を落とし身体は痩けてみすぼらしいものだ。
無論人を決めるのは体格だけではないけれど。
それだけではない。
自信に満ちた、人を見守り導く力強い瞳も、周囲を温かく包み込む様な纏う空気も、確かに信玄と何処か重なる。
成る程これは軍神も認めるに相応しい。
幸村は眩しい物を見る様に家康を見た。
己など、比べるのも烏滸がましかったやも知れないと。
「儂は、お前と出来れば戦いたくないんだ、真田・・・降伏してくれないか?」
そして同じ虎の魂を継ぐ者として、天下を支える絆の一つとなってほしい。
そう家康は言った。
しかし、今の己が彼から“同じ虎の魂を継ぐ者”などと。
そんな事を言われても余計に惨めになるだけだった。
頼むから口にしてくれるなと切に願う。
それに――
「真に申し訳ありませぬが、徳川殿。武田は既に西軍に与しておりますれば。それを裏切り、貴殿につく事は出来ませぬ」
今はもう、そんな私情だけではない。
裏切るなと言って去った三成の背中を思い出す。
彼の言葉を、また其処に到る迄に尽力してくれた者達を、今更裏切る訳にはいかないのだ。
「然らば、某を討ち果たされよ」
だからとそう言って、幸村は槍を構えた。
茶番だと解っていた。
付き合わせる家康には申し訳ないとも。
それでもせずにはいられないのだ。
家康はそんな幸村の気持ちを慮ってくれたのか黙って自分も拳を握り構えてくれた。
有り難い。
そして一瞬の静寂の後に二人は同時に地を蹴り互いに向かって技を繰り出す。
幸村の武器が槍であるのに対して家康は武器らしい物は持っていなかったが、手甲を使ってそれを防ぎながら拳での攻撃を仕掛けてきた。
何度かの技の応酬、ぶつかり火花を散らすそれぞれの武具。
決着が着くのに然程時は掛からなかった様に思う。
元々気の持ち様が違い過ぎる。
幸村は飛び掛かり振り下ろした槍を両手で制され、次いで家康が天に放った気迫の様な衝撃波に吹き飛ばされて宙を舞った。
高く放られた身体は弧を描いてやがて固い石畳へと落下する。
その最中、視界に映ったのは真っ青な青空と、それから必死の形相で恐らく家康の通ってきたであろう水路を駆けて来る佐助の姿であった。
一瞬視線が合った気がして、佐助の口が何事かを叫びかけたのが見えた。
しかしそもそも落下の最中であった己の視界は直ぐに移り変わりそれは判別するより前に見えなくなった。
佐助の姿が視界から消えると直後背に激しい衝撃があった。
地に叩き付けられたのだろう。
痛みに目を閉じ、再び開くと次に其処にあったのは家康の姿だった。
此方に拳を向けて苦し気な表情をしている。
彼は勝者である筈なのに、不思議な事だなと幸村は思った。
敗けた己の方が何処か凪いだ気持ちでいるなどと。
しかしこれで終わるのだと思えば安堵にも似た思いが沸き上がる。
永遠の眠り、などとはよく死を表す言葉として用いられるが、次に見る夢はきっと覚める事はない。
叶うならば、最後のそれがまたあの優しい世界であればいい。
そう思いながら。
「旦那っ!!」
夢の中の佐助と同じ呼び声を遠くに聞いて、幸村は微笑んで目を閉じた。
* * *
上田か、躑躅ヶ崎か、はたまた道場か。
次は何処であろうかと幸村が目を開くと其処は見知らぬ邸であった。
否、御殿と言う方が正しいかも知れない。
きらびやかな調度に、柱の一本一本にまで細工が施されて。
武将と言うよりは官人のそれと言う方がしっくり来る様な。
そこは煌びやかな場所であった。
そしてそんな幸村の予想は正しかったらしく、背後からの声がこの場所の答えを教えてくれる。
「ほんとここ、無駄に広くて帰るのも一苦労だよねー」
既に陽が赤く染まり始めた刻。
これでは今日の内に甲斐まで戻る事は難しいかも知れないと。
勿論それは佐助の声だが。
曰く、ここは先の帝の住まう二条御所なのだそうだ。
正確には住まっていたと過去形だ。
その帝は今先程幸村が討ち果たし、幸村率いる武田が天下を統一した所らしい。
振り返るとお疲れさん、と佐助から労いの言葉が掛けられた。
兵達は既に退いて国元に戻る準備をしているらしく、この場には佐助と幸村しかいない。
静かなその場所で山に掛かる夕日を見ながら幸村は考える。
己の最後の夢は想像以上に壮大だと。
とうとう信玄ではなく自分が天下を統一してしまったのだ。
最後だからこそのこの夢だろうか。
しかし、そうとなればまだ一つだけやり残した事がある。
幸村は佐助にそう告げる。
「天下人となった今だからこそ為さねばならぬ事がある」
それは、信玄に挑む事。
信玄の元天下統一を己が果たしたと言うならば、最後に信玄を越えねば真のそれとは言えぬであろう。
「あの巨大な山を・・・」
越えなければ。
言いかけて、幸村はぴたりと言葉を止めた。
「どうしたの?」
佐助が問い掛けてくる。
「いつもの旦那なら、お館様を越えてみせるーとか叫んで走り出す所じゃないの?」
その姿が容易に想像できるようで幸村は口元に笑みを刷いた。
きっとそうなのだろう。
この世界の幸村ならば。
しかし自分は違う。
寧ろ真逆だ。
信玄から預かった甲斐の国をあんなにも滅茶苦茶にしておいて。
「何も成し遂げられず、託されたものすら遺して逃げて甘い世界に縋る。こんな未熟な己が、どの口で越えるなどと言えようか・・・」
そんな資格、あろう筈も無かった。
これで最後と思えばこそ。
俯き歯を食い縛り、拳を血が滴る程に強く握る。
ぽたぽたと血が地面へと滴り落ちる。
ここでも変わらず血は流れるのか。
するとその手をそっと取られて両の手で包まれ解かれた。
「そうねぇ」
そして手に出来た傷を撫でながら、佐助は場にそぐわぬ程に呑気な声で。
「ま、確かに未熟ではあるよね」
あっさりと言われたその言葉に幸村は目をぱちくりと瞬かせた。
この世界の幸村は立派に大将を勤めあげていた筈だ。
帝を討ち果たし天下統一まで果たして見せた。
そんな彼を未熟と称されたのも意外であったし、佐助がそれを実際に口にしたのも幸村は驚いた。
しかし見返す幸村に構わず佐助は続ける。
「確かにそれらしくはなってきたけどね。でもまーだお館様見りゃ一目散だし、盲目で自分より最優先な所は変わってないし、相変わらず向こう見ずでこないだも怪我隠してぶっ倒れたりするし、甘っちょろくて変な事に顔突っ込んで見ず知らずの他国の人間探すの手伝おうとするし、くそ真面目だからチャラい人間に手玉に取られて大事な六文銭奪われたりするし」
大将としちゃまだまだ、半人前もいいところだよねぇ、と。
言われる己の姿は何だか現実の己と然程変わっていない様に思われ幸村は言葉を失った。
「だ、だが、この世界の俺は、敗け続けた挙げ句に見限られて離反を受けたり、城を奪われたりする様な事はなかったのであろう!?」
慌てて現実の己との違いを口に出し問いかける。
そうだ。
半人前等と言ったとて、そんな風に佐助が呆れ果てる程の人間では無かった筈だ。
しかしそれにも佐助はあっさりと告げる。
「まあ、確かにそれは無かったけど、こんな時代ならそう言うのも珍しくないでしょ」
まるで何でもない事の様に。
「離反なら徳川がしてたし、城取られたってなら豊臣だし」
まぁ、取った自分達が言う事ではないかも知れないがと佐助は付け加える。
言われればそうだ。
織田も、徳川や前田が離れたり、明智や柴田に謀反を起こされている。
政宗とて少し前、豊臣に手痛い敗北を喫していたではないか。
大きな勢力ともなればそれらはよくある――とまでは言わないが、十分起こりうる事で。
幸村が率いた武田のみに起きた事ではない。
ならば何が違うと言うのか。
「だがっ、お館様であれば・・・っ!」
こんな事にはならなかった筈だと。
言い掛けると先程まで取られていた手を急に離され、替わりに思い切り頬を手で挟む様にして叩かれた。
ベチンと乾いた音の後に衝撃とひりついた痛み。
実際音の割には力は然程入っておらず、痛みも信玄との殴り合いに慣れている幸村には比べるべくもない程度であったのだが。
それでも目を覚まさせるには充分な衝撃で、幸村は目を瞬かせたままぽかんと口を開いて言葉を止めた。
「あんた、その何でもお館様と比べる癖直した方がいいぜ」
昔からそうだと佐助は言った。
そして比べる癖に信玄を至高としているからいつまで経っても自己評価が低いのだ。
夢の中の己との差は正にそれだ。
「今のあんたに足りないのは自信だよ。大将としてじゃない。真田幸村としての、さ」
「真田幸村としての・・・?」
鸚鵡返しで尋ねながら幸村はあれ、と思う。
妙な違和感。
いつもは夢の世界と現実は隔離していた。
夢の中は既に確立されていて、幸村だけが別物だった。
言うなれば、絵巻物の中に飛び込んだ様な感覚だ。
しかし今のこれは違う。
今の佐助との会話はまるで、現実のそれの様だった。
不思議に思う幸村を余所に佐助は続ける。
「大将としての自信が持てないのは仕方ないさ。まだなったばっかりで、しかも突然、あんなしっちゃかめっちゃかな時代にさ」
只でさえ信玄の病と言う幸村にはこれ以上ない重い出来事があったと言うのに。立ち直る前に敗戦が続けば自信などつく筈もない。
けれど。
「いなくなった奴もいたけど、残った奴らも大勢いただろ?そいつらは皆あんたが立ち直るって信じてるから付いていってるんだよ」
幸村が信玄でない事など皆十分に知っている。
それでも変わらず幸村の下で支えようとしているのは、幸村自身が築いてきた武田の者達との絆があるからだ。
それは例え虎の魂を継ぐと言われようとも、家康との間にはない。
幸村しか持ち得ぬものなのだ。
「だ、だが・・・皆はお館様のおられる甲斐の国だからと・・・」
「だーかーらぁ、ただこの国だけが良いってんなら、それこそ敗けが続いた時点で誰か他の奴でも立てるでしょうが!」
いい加減分かれと鼻を摘ままれる。
そうだ。
ただ国を守ると言うならそれこそ信玄の血縁である勝頼がいる。
その勝頼でさえ幸村を大将として認めてくれていた。
それをどうして、信じられなかったのか。
「佐助も、か・・・?」
ほんの少しの勇気を得て、幸村はずっと聞きたかったことを佐助に尋ねた。
「佐助も、甲斐の大将としてだけではなく、真田幸村として、俺を信じて・・・必要としてくれているか?」
怖かった。
武田の未来を憂うこの忍が、この様な惨状を招いた己をどう思っているのか。
今はまだ大将だからつき従ってくれているが、もしそうでなくなったら。
今度こそ呆れ、離れてしまうのではないかと。
ずずと鼻を啜りながら伺うと、佐助は呆れた様にこちらを見て。
「あんたねぇ・・・」
それから深い溜息を吐いた。
「俺様程真田幸村だけを信じて、求めて、必要としてる奴なんてそういないぜ?」
自分が今の武田に残っているのはただ幸村がいるからだと。
まるで少し前の夢の中の彼の様な台詞を、今の佐助も言ってくれた。
「あんたには言ってなかったけどね、一応里から帰還命令出てたのよ、俺様」
猿飛佐助と言えば風魔と並ぶ名だたる忍だ。
そんな腕の立つ忍を落ち目の武田に残しておくには勿体無いと、里が考えるのは至極当然の事であり、今の今までその可能性に至らなかった自分に幸村は愕然とした。
そしてそれは佐助が幸村に気付かせまいと只管隠し通した結果なのだろう。
そうまでして佐助は武田に、否幸村に仕え続けてくれていたのだ。
里の命令に背いたと言う事は、万が一の時に帰る場所を失うと言う事だ。
それだけのリスクを負ってまで武田に残ったのは、長や副将と言う肩書でも払えぬ金銭故でもなくて。
「あんたが好きで、愛おしくて、大切で、護りたいから、ただその為だけに残ったんだよ」
長くいた事もあり武田や真田にもそれなりの愛着はあったけれど、幸村がいなければ里に背いてまで武田に残ろうなんて思わなかったと佐助は言う。
幸村が誤解する程に甘さを捨て、大将として接してきたのも幸村が己の手で甲斐の国を守る事を望んだからだと。
「あんたの望みを叶えるつもりで厳しく接してきたんだけどね・・・ちょっと突き放しすぎたかな」
まさかそこまで勘違いする程に思い詰めていたとは思わなかったと。
誤解させてごめんねと抱き締められて幸村は肩口に顔を埋めてしがみついた。
首筋に当たる呼気が温かい。
「あんたが好きだよ、旦那。あんたが生きて幸せでいられるなら、武田も天下も、本当はどうだっていいんだ」
佐助の声が染み入る様に耳に響く。
心地良くて目を閉じると、頭の中に同じ声で続く言葉が響いた。
だからどうか死なないで、と。
それに思わず目を見開き、己を抱く男の顔を見るべく身体を離そうとしたのだが、それはぎゅうと強く力強い腕に阻まれ逆に胸に顔を押し付けられた。
「さ、佐助・・・?」
「目を開けないで。そのまま意識を楽にして」
そうしたら戻れるから、と佐助は言う。
何処にとは告げぬまま。
けれど解るような気がして幸村は逆らわずに大人しく目を閉じる。
「なあ、佐助」
「何?」
「これは本当に夢だったのであろうか?」
その問いに、佐助は応えなかった。
ただふ、と吐息だけで笑ったのが聞こえて。
「さあ、もう目覚めの時間だよ」
おやすみ、旦那と。
まるで正反対の言葉を継げて、佐助は額に一つ口付けてくれた。
* * *
温かな腕に抱かれていた。
けれど力が強すぎてこれでは少々呼吸が苦しい。
訴える様に腕を持ち上げ触れた肩布の裾を引くと、一瞬動きを止めた身体がガバリと起き上がって拘束を解いた。
離れて息苦しさはなくなったが、間に入り込む風が冷たいなとぼんやりと思う。
「旦那っ!?」
あぁ、またその呼び名。
咄嗟の時だけ出てえ仕舞うと言うならば、普段あれだけ冷静沈着な男がどれだけ鳥も出しているのか推して図るのも容易いと。
夢の中と同じことを考えて、しかしこれは現実だと幸村は直ぐに理解した。
何故なら。
「旦那、大丈夫!?意識は!?」
「大丈夫・・・ではないな・・・身体中痛くて堪らぬ・・・」
足も腕も腹も背も胸も頭も。
全身が痛みを訴えていて酷い気分だ。
しかし、それこそが現実で己が生きている証。
本来ならば生きているだけできっと奇跡に近いのだろう。
そうであったのは幸村の身体が頑丈な事と、家康の武器が拳だったからに他ならなかった。
それとて打ち所が悪ければ死んでいた事には違いないが。
「俺は・・・また負けてしまったか・・・」
目を閉じて、幸村はポツリと呟いた。
けれど不思議といつもの様な苦しいまでの悲壮な思いはなく、それに佐助も気付いたのか幸村の声に一瞬驚いた様に言葉を止め、それから現状を報告してくる。
「そうだね。今回は完全に奇襲にしてやられてうちの敗け。って言っても割かし被害は少ないけど」
当初から読んでいた通り、徳川は最小限の被害に抑えようとしていたらしく、水門や建物の被害の程度と比べると人的被害は圧倒的に少ないと言えた。
そう言えば、辺りはとうに静かだが、肝心のその徳川軍はどうしたのか。
聞くと、家康は幸村に一撃を与えた後、見張りだけを置いて早々に上田を発ったらしい。
恐らく関が原の地へ向かったのだろう。
元より行軍の難しい東山道に進路を変更した所為で余り余裕は無い筈だから、そうするのは当然と言えば当然と言えた。
「一応沙汰は例の関が原が終わってからって事になってるけど、あんまりうちをどうこうしようってつもりはないみたいね」
家康は信玄を師と仰いでいる。
それ故甲斐を出来れば味方に率いれたかったのだろうが、それが叶わずとも関が原に参陣させないだけでも十分だったのだろう。
そんな気配は薄々と感じていた。
これで、意図した訳ではなかったが東軍西軍どちらが勝っても武田は滅亡の道は免れそうだ。
西軍を裏切った訳でもない。
東軍が勝てば将である幸村ぐらいは蟄居となるかも知れないが、信玄のいる甲斐を家康が滅ぼすとは到底思えなかった。
そうするぐらいならば今ここで幸村に止めを刺していただろう。
「徳川殿の人の好さに付け込む形になってしまったが・・・」
「まあ、いんじゃないの?向こうだって絆なんてもの掲げてるぐらいだし。殺して恨まれるぐらいなら恩売っとこうぐらいに考えてるでしょ」
「そうだろうか?」
「そうだよ」
「そうか」
ならいいかと幸村は頷いた。
そう思えば何だか憑き物が落ちたような気持ちになった。
それに佐助も気付いたのだろう。
「どうしたのさ」
聞いてくる。
「何がだ」
「少し前のあんたなら、武田の名を地に貶めて不甲斐ない~とか言って切腹とか言いだしそうなもんなのに」
夢の中でも似たようなやり取りをした事を思い出して、流石と言うか何と言うか、己の思考をよく知っているなと幸村は思った。
確かに少し前の自分ならばそう考えていただろう。
しかし今は、そんな考えは浮かばない。
「そんな事をしたら、お前が泣くからな」
言うと佐助はまた驚いた様な顔をした。
それからふっと吐息を零す様に笑った。
「よく分かってんじゃん」
「教えて貰ったからな」
「はあ?誰によ?」
才蔵か、小介か、はたまたかすがか。
次々と出てくる名前に幸村は笑いながらも答えない。
そんな幸村の態度に佐助もこれは言う気がないだろうと踏んだらしく、諦めた様に溜息を一つ。それからそれ以上追及してくる事はなかった。
「そう言うお前こそ、少し前なら大将としての自覚がと説教をしていた所ではないの
憮然とした佐助の態度が珍しくも面白く、浮かれた気分のまま幸村は調子に乗ってからかうようにそんな事を尋ねてみた。
佐助はまた拗ねたような顔をするだろうなと幸村は思っていたのだが。
予想に反して佐助はその問いにぼんやりとし、あぁうん、と何だか曖昧な返事をして見せた。
佐助にしては珍しい。
そしてその後暫し考え込むような素振りを見せ、それから漸く口を開く。
「何かね、あんたが死にかけたの見て、大将とかそんなのどうでもよく
なったって言うか・・・」
立派な大将にと言う願いも、全て命あっての物でしかない。
それに佐助も気付いたらしい。
いや、思い出したと言うべきか。
「あんたがいなきゃ武田を勝たせたって仕方ないし」
真田幸村あっての真田忍隊、真田幸村あっての猿飛佐助だと。
そんな嬉しい事を言ってくれるから。
「うむ、それも聞いたぞ」
「だから誰によ!?」
止めて怖いと叫ぶ佐助に幸村はまた笑った。
こんな風に語らうのはいつ振りであろうか。
そして、現実の佐助が余りに夢の中と同じような言葉を言ってくれるので、最後に幸村はもう一つ気になっていた事を佐助についでに尋ねてみた。
「そう言えば佐助、お前、里から帰還命令があったと言うのは本当か?」
夢の中の佐助が言っていた事。
あれは現実でも有り得る事なのだろうか。
それがどうしても気になった。
すると佐助は今度こそ訝し気な表情で幸村を見た。
恐らく本当に誰にも、忍隊にも言っていなかった事だったのだろう。
里と、殺した伝令の忍と、自分しか知らない筈の事。
それを何故幸村が知っているのかと言う顔だった。
「あんた、本当に何処で何を聞いてきたの?」
そして何か気持ち悪いんですけど、と佐助は従者にあるまじき失礼な事を言う。
気持ち悪いとは何だ気持ち悪いとは。
気分を害した幸村は真実を教えてやるものかと改めて心に決める。
元より信じて貰えるかも分からぬ事だ。
話さぬが吉であろう。
「俺と佐助の秘密だ」
だから最後にそう言ってやると打ち所が悪かったかそれとも怪我で熱が出たかと心配気に額に触れられるので、俺は正気だと無事な足で蹴飛ばしてやる。
それから互いの顔が見えなくなる様な夕暮れまで、そこで何とも無しに二人は暫し抱き合っていた。
上田が奇襲を受けてから数日後、日の本を東と西の二つに分けた大戦が関が原の地にて口火を切った。
しかし徳川の監視下に置かれた武田は西軍として参陣する事は叶わなかった。
とは言え、勝者も敗者も、双方あらゆる面で痛手を負ったと言うこの戦。
全て終わって後。
「案外、参加しなかったうちが一番の勝ち組かもね」
佐助は総じてそんな風に評し、以降は余りこの件について話題を口に上らせようとはしなかった。
事前に予想をしていた通り、武田は関が原以後も存続を許され、領地は減ったが変わらず幸村が信玄に指示を仰ぎながらその地を今も治めていた。
そう、信玄、お館様。
何とあの後信玄はまるで奇跡の様に病状を持ち直し、今ではすっかり快癒し以前と同じような威風堂々たる姿で今日も躑躅ヶ崎館で各所に指示を送っていたのだった。
実は幸村は関が原の戦いの終結した後信玄の元へ謝罪に赴いていたのだが、枕元で文字通り満身創痍で不甲斐ない申し訳ないと小さくなる愛弟子に大層憤慨したらしい。
そしてたった一度の失敗でその様な及び腰とは気合が足りぬわと一喝。
自らも病み上がり、且つ相手も怪我人であるにも関わらず重い拳による一撃を繰り出し、それから己もおちおち寝てなどいられぬと、本人曰く気合で病を吹き飛ばしたらしい。
そんな馬鹿なと佐助は零したが、信玄ならば有り得ないとも言えず、事実依然と変わらず幸村と殴り合いをしている姿を見ればはあそうなんですねと口を噤むしかなかった。
とは言え前程幸村を甘やかす気もないようで、大将の座は変わらず幸村に預けたまま返上させるつもりはないようだが。
幸村も幸村でそこは多少なりとも成長したのか、分かりましたと一言告げた後は駄々を捏ねるでもなく己の力で甲斐の国を治めるべく日々奮闘している。
まだまだおっかなびっくりな所もあるが、以前の様に盲目的に信玄の身に思考を預けるような事はなくなったので信玄はそれだけでも病に罹った甲斐はあったかも知れぬなどと親ばかここに極まれりな発言をこっそり佐助に零したりもしていたので、聞かされた佐助は冗談じゃないですよとあの怒涛の日々を思い返して愚痴り返したりもしていたが、それは幸村は与り知らぬところである。
信玄と同様幸村の体調に関しても以降は概ね良好であった。
元々幸村のそれは精神的な物からきていたので、それが解消されれば徐々に戻るのは道理であった。
食事も睡眠も、周りが気遣う必要はなくなった。
手を加えなくてもそのままの米を美味しそうに頬張るし、眠る際の香も必要なくなった。
と言うより香は体調が戻るより前に止めさせられた。
佐助が以前の様に幸村の傍で何くれとなく世話を焼くようになり、鼻の利く忍に香の匂いはきつすぎると不平が出たからだ。
幸村自身ももう不要かと思っていた――と言うより元より侍女が用意してくれたのをそのままにしていただけだったので、無ければ無いでも構わないと佐助の望むままに片させた。
幸村も佐助が傍にいる方が好ましかったので。
以来あの幸せな夢を見る事もなくなったが、構わない。
「大将。お茶持ってきたから、ちょっと休憩に・・・って、また!」
陽の差し込む温かな部屋でうとうとと微睡みに身体を委ねる。
すると障子が空いたのか光が強くなり、次いで近くで佐助の呆れたような声がした。
「政務に励んでると思ってたら、ちょっと目を離した隙にこれだもんなぁ」
文机に俯せて転寝をする幸村に、近づいて肩を揺する。
「ちょっと、サボってないでちゃんとお仕事しなさいよ。それか疲れてるんなら床の用意するからそっちで寝ろって!一応あんたも病み上がりなんだから!」
こんな所で寝ては体に障ると。
佐助は頻りに幸村を褥へ誘うべく揺り起こそうとする。
その声に僅かに意識を戻しかけるが、それでも未だ夢現。
幸村はうっすらと瞼を開けて吐息の様な笑みを零す。
ちょっと寝惚けてるの?と佐助が苦笑する。
胸に抱いてくれる、その温もりが心地良い。
例え全てが上手くいかずとも、傍に佐助がいて、武田の皆がいてくれればそれだけで夢の様だと今は思う。
幸村は胸に満ちる幸福に微笑んで、佐助の胸に頬を寄せ再び微睡みに落ちて行ったのだった。
(夢に惑い現世を見る)
終
3→宴→2(プレイ途中)からの現在は4に四苦八苦中(笑)
幸村が皆とワイワイしつつ、佐助に世話を焼かれているのを見るのが何より好きです。